中世化する世界(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その7)

国が人間道・天道の段階までくると、民衆レベルで上位レイヤーが十分活性化している。だから国が各レイヤーを活性化させるために口出しする必要がだんだん無くなってくる。横糸的には生命と財産の安全保障ができて、縦糸的には国民文化の維持・拡張政策ができれば十分。黒子に徹することになる。 そのため、国民の国への帰属意識はだんだん希薄になってくる。国が黒子だから、その姿は意識されない。 国民ひとりひとりは下…

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多民族国家の縁起レイヤー構造(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その6)

ある意味中国もそうなのだけど、多民族国家、つまり母国語や伝統文化が異なる集団を持った国家を纏めていくのは難しい。下層レイヤーでは、それぞれ異なる色合いの縦糸で出来た布があって、それを寄せ集めて、互いにツギハギして下位レイヤーが出来ている。それら「こま切れ」の下位レイヤーの布に上位レイヤーの一枚布を覆いかぶせて何とか国家の呈を成している。 上位レイヤーの布を下位レイヤーとズレないように止め…

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中国の縁起レイヤー構造(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その5)

日本はしっかりした伝達損失の少ない縁起の織物で出来た国なのだけど、これが中国だとまったく反対になる。 中国という国は相互信頼度が低く、騙す騙されるの社会だから、互いの通信データがエラーだらけ。各々はエラー訂正したり、ID確認したり、時には通信遮断したりさえする。もちろんデータ転送効率はとても悪い。政府がどんなに大出力でデータを伝送したとしても、途中でどんどん減衰して、人民に届くころには消えてな…

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日本の縁起レイヤー構造(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その4)

縦糸が途中で切断されずにずっと続いているような国は、世界でみても数少ない。単なる時の政権の交代というレベルではなく、その民族や伝統が断絶しないということが条件になるから。 ヨーロッパ・アラブや中国大陸などでは、王朝の交代に伴って、民族の虐殺や伝統の破壊を行ってきた歴史があるから、縦糸はズタズタ。 日本は時の政権の更に上に「帝」をおいて、権威と権力を早くから分離した二重構造を持っていた。そのお…

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縁起の縦糸と横糸(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その3)

縁起のレイヤーでは、縦糸が時間軸で繋がる縁だし、横糸は空間軸で繋がる縁になる。これを国に当てはめれば、縦糸の長さは国の歴史になるし、横糸の長さは国土の広さにあたる。 この縁起のレイヤー構造を作っている縦糸と横糸で通信されるデータには違いがある。 縦糸は時間軸の縁起の糸だから、後世に伝えるべきもの、伝統とか風習とか後世に残さなければならないと思っているものを代々伝えていく。それによって歴史と…

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六道輪廻と縁起レイヤーの関係(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その2)

国の発展段階は六道輪廻の世界観と比較してみるとなかなかよく当てはまる。 この六道の段階おのおのについて、それらを形成または活性化している縁起レイヤーを重ねて考えてみると丁度正比例のような関係になる。 六道を下から大きく3つの段階に分けてみる。すなわち、地獄・餓鬼道と、畜生・修羅道。最後に人間・天道。 まず、地獄・餓鬼道の段階の国は、半ば無政府状態。地獄道は戦争、紛争、治安悪化で常に生命…

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縁起のレイヤーからみた国のかたち(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その1)

当、日比野庵からリンクしている「マルコおいちゃんのシナにつける薬」の二つのエントリー「シナとヨーロッパという二つの異なる理念」と「シナにモラルがない、とは誤解である」から、ヒントを得て今回は、以前エントリーした、縁起のレイヤーと六道輪廻からみた国と世界の関係について考えてみたい。全13回シリーズでエントリーする。 近代国家の成立は、絶対王政の下での中央集権国家による三十年戦争の終結後、ウェ…

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主体的に生きる(人間として生きるということ 最終回)

アンパンマンの主題歌である「アンパンマンのマーチ」の歌詞の冒頭。 外部記憶とか、無意識システムが人格や意識をつくるという受動意識仮説では、人間の意識存在は生まれた環境や学習で全部決まってしまうことになる。 これは、人間というものを「なぜだか分からないけれど、偶然にこの世に投げ出されてしまった存在」とみていることと殆ど変わらない。哲学でいうところの実存主義にきわめて近い…

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経験の獲得(人間として生きるということ その9)

もしも、最高性能の機械の体を持ち、最高の頭脳の記憶をダウンロードした人がいたとして、その人がどんな人生を歩むのかを考えてみると、かえって不幸な人生になるのではないかと思う。 なぜかというと、思えば何でもできる身体能力と世の中のすべての知識を持っていることそのものが、人生の目的を見つけだすことを困難にさせるから。 思えば何でも適う世界に生きると、たぶん人は何もしなくなる。 もし肉体をなん…

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肉体を強化する世界(人間として生きるということ その8)

最近の脳科学の研究では、人間の脳は結構あいまいに出来ていて、それゆえに柔軟性を持っていることがわかってきている。 人間の脳には、体の各部分と脳の部位との対応関係を示す脳地図とよばれる図がある。 面白いのはこの脳の地図は後天的に作られて、かつダイナミックに変わるということ。 ごくまれに人差し指と中指がつながったままのいわゆる4本指で生まれてくる人がいるけれど、その人の脳地図を調べたら、5…

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心を持つロボット(人間として生きるということ その7)

無意識化の演算が意思決定の主体であれば、その無意識で演算する機械のシステムを作って、他の適当な外部入出力装置と接続すればいいという考えも成り立つ。それも心を持つロボットだ、と言えなくもない。 たとえば、ある人物の「意味記憶」と「エピソード記憶」がすべて入力された外部メモリと、無意識化の演算システムを接続すれば、そのシステムの反応や意思はその人物と同じになるはず。 だから、様々な人物の「意…

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意識の受動性(人間として生きるということ その6)

個人の人格、アイデンティティは文字どおり、自分か何者であるかを規定するものだから、その人がもつ固有の記憶が土台になっている。だから人格と記憶の関係は切っても切り離せないもの。 [器・UTUWA&陶芸blog]より 心理学では記憶を、言語として表現できない「非宣言的記憶」と、言葉で表現できる「宣言的記憶」に分類する。言語化できない記憶とは、運動のスキルや思考の筋道など、経験することで定着す…

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細胞の記憶(人間として生きるということ その5)

「しばらくの間、私を見つめて・・(ドナーの)母親が言ったんです。"だって貴方が、余りにも息子に似てるから・・・"。」 心臓移植を受けた人物が、手術以降大きな趣味嗜好の変化を体験し、その新たな趣味嗜好は、心臓提供者(ドナー)のそれとピタリと一致していたという、心臓移植を巡る人格や記憶の転移現象が数多く報告されている。 《細胞の記憶》と呼ばれるこれらの例は、まだ学会では認められてはいないけれど、…

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義手・義足・義体(人間として生きるということ その4)

ロボットと人間の差をアイデンティティ、心の有無という視点で考えてみたけれど、ではロボットと人間の中間的な存在ではどうなのかという疑問は当然あっておかしくない。 半ば概念上の存在だけれど、サイボーグに心があるかという問題がそれ。 サイボーグとは、人間の身体に人工臓器等を埋め込んだり、電子機器をはじめとした人工物に身体機能を代替させることで、身体機能の補助や強化を行った人間の事。 映画やアニメ…

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「女形」と「人形(ひとがた)」(人間として生きるということ その3)

「声も仕草も色っぽかったー。」 「やっぺし、えぇ女だわ 。」 「すごくきれい。」 大衆演劇の天才女形として活躍する、早乙女太一を見た人の感想。 女形は男性が女性を演じるもので、衣装や声色・動作だけで女性らしさを表現する役者。むろん普通の男性よりは見た目も中性っぽくて、きれいなのは当然なのだけれど、注目すべきは、女性以上に女性らしい立ち振る舞いを行うことで、本当の女性だと錯覚させてしまうことに…

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不気味の谷とミラーニューロン(人間として生きるということ その2)

人間に近いロボットを作る際に、ぶつかる壁のひとつに《不気味の谷》という概念がある。 《不気味の谷》とは、日本のロボット工学者、森政弘東工大・元名誉教授が1970年に提唱した、ロボット工学上の概念。 森・元名誉教授は、人間がロボットに対する感情的反応は、ロボットがその外観や動作がより人間らしくなるにつれて、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。さらに人間…

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人間とロボット(人間として生きるということ その1)

「理想と現実」のエントリーのコメント欄にて、江戸屋さんから、「精神の肉体制御ではなくて、肉体の精神統御の方が「生理」にかなっているのでは?」というコメントをいただいたので、今回はこれについて考えてみたい。全10回シリーズでエントリーする。 人間を構成する要素を考えてみると、五感という感覚器官を備えた肉体と知・情・意のはたらきを持つ心からなるというのが、おそらく一般的な答え。 身体の中に心…

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万人の秀才とひとりの天才(コンテンツと規制について 最終回)

コンテンツ自体は何がしかに偏ったものしかありえないと言ったけれど、政治的内容とか、公序良俗だとか、その他優れた考えなんかが同じ人から発信されている場合も当然ある。 その人の思想が政治的にも、公序良俗的にも、全体の思想体系として構築されていると、抵触しているここだけ削除、なんて分離できないことだってある。無理強いすれば、表現の自由を束縛し、天才を凡人に変えてしまうことにもなりかねない。 だから…

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ロングテール(コンテンツと規制について その8)

オンラインショッピングの世界でよく取り上げられるビジネスモデルとして、ロングテール・ビジネスモデルというのがある。 ロングテールとは、商品売り上げのグラフの縦軸を販売数量、横軸を商品名として販売数量順に並べると、あまり売れない商品が、恐竜の尻尾のように長く伸びることから、この長く伸びた部分を「ロングテール」という。 ロングテールに含まれる商品は、販売数量が低い割りにアイテム数の多いことを示し…

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2ちゃんねる(コンテンツと規制について その7)

ネットにはグーグルと同じく、自らのコンテンツを持たない存在もある。その中で代表的なものは、1000万人が利用しているとも言われる2ちゃんねる。 2ちゃんねるにはテーマごとに数百の掲示板が用意されていて、それぞれの掲示板はさらに話題ごとに閲覧者が作成した「スレッド」と呼ばれる小さな掲示板に分かれている。 2ちゃんねるは「匿名掲示板」だけど、中には特定のハンドルを名乗る投稿者もいるし、発言者をシ…

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情報価値のつけ方(コンテンツと規制について その6)

検索エンジンの中で、急成長を遂げているもののひとつにグーグルというのがある。 米ComScore社は、2007年8月における世界の月間検索エンジン利用事情を調査した最新レポートの発表を行った。その結果、グーグルは、世界で最も多くの月間検索利用を記録し、全検索回数の実に60.8%と、圧倒的なシェアを確保してダントツ1位を記録している。 グーグルの検索エンジンの中身は勿論公表されていないけれど、…

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自由と公平(コンテンツと規制について その5)

新聞や本、ネットでもそうだけれど、読む人が情報を得ようとするとき、まず見るのは見出しや題名。現代人は忙しいから、全部の雑誌の全部の記事を丹念に読むことなんて殆どできないし、しない。だから各社は読者の気を引こうとして、刺激的な見出しをつけて、少しでも読んでもらおうとする。 ネットでも新聞社のHPがあるから、そこを何の気なしに読むというのもあるけれど、中には、詳しく読みたい記事もある。それについて…

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中立とは何か(コンテンツと規制について その4)

政治的立場もそうだけれど、情報に中立性を求めるのはそもそもにして難しい。 まず絶対的な中立の基準からして決められない。価値観や伝統ですら、時代と共に変遷してゆくもの。仮に決めることができたとしても、右や左の人からみれば、それこそが偏ってみえるし、右や左のどちらかが多数派を占めると、以前は中立だった考えが途端に異端扱いになる。 だから、中立って、どの意見にも与さないか、どの意見も全て等しく賛成…

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コンテンツと媒体(コンテンツと規制について その3)

「情報の車」は、個々人のPC端末で読まれたり、書いたりされてその意味を持つ。だからコンテンツの持つ価値は、個人によって異なるもの。同じコンテンツであっても、興味のある人にとっては重要な情報だけれど、さして興味のない人にとっては、それほどの価値は持たない。 だから、社会的に影響力のあるものというのは、「広く一般的に普及している」という意味と、それを見た多くの人がなるほどそのとおりと「納得して共通…

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インターネットの交通ルール(コンテンツと規制について その2)

今の日本のネット事情は高速通信が当たり前。ブロードバンドって、よく高速道路にたとえられていたけれど、そのとおり。情報の高速道路。そのお陰で重かった画像データとかも手軽に送受信できるようになって、便利になった。 ブロードバンドをはじめとするネット網を高速道路にたとえると、ネットコンテンツはそこを走る車になる。そこで適用される交通ルールってなにかといえば、ネット通信規格。 車を使う人にとって困る…

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規制の対象(コンテンツと規制について その1)

情報の価値判断と規制について考えてみたい。全9回シリーズでエントリーする。 先ごろ、総務省が、現行の通信、放送関連の法律を「情報通信法(仮称)」として一本化して、2010年の通常国会に提出する方針を明らかにした。インターネットのコンテンツを、「政治的な中立性が保たれているか」や「公序良俗に反していないか」といった観点から規制しようというもの。 [ピカさんの夢のある絵画]より 総務省…

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プロとサポーター (スポーツと戦争について考える 最終回)

プロの選手はその道の専門家。その競技においては、もっとも高いスキルをもつ人達。 だけど、そのプロの選手を育てるのは観客やサポーターの目。目の肥えた客の目がプロを更に育てる。 怠慢なプレーやミスを起こしてもブーイングひとつしなかったり、素晴らしいプレーにも無反応なサポーターを背に試合を行うチームと、つまらないプレーやミスには容赦ない罵声を浴びせ、凄いプレーには惜しみない賞賛の拍手を送るサポータ…

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代闘士 (スポーツと戦争について考える その8)

藤子不二夫のSF短編漫画に「ひとりぼっちの宇宙戦争」という作品がある。 これは、地球とハデス星間の戦争での地球側代闘士として選ばれてしまった主人公が、訳も解らず相手方の代闘士と戦うはめになる姿を描いた話だけれど、その中に惑星間の全面戦争は星間法で禁じられており、1対1の代理人同士の戦いをすることになっている、というくだりがある。惑星間の全面戦争は両惑星の被害があまりにも大きすぎるというのがそ…

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身体能力とハンデ戦 (スポーツと戦争について考える その7)

スポーツ競技においては、個人でも集団でも、その選手の技術の高さもさることながら、身体能力の高さも大きくものを言う。 サッカー日本代表選手がアフリカの国と親善試合をやった後のインタビューで「届かないと思ったところからでも足が出てくる。」と、その身体能力の高さを口にする光景が良く見られる。 スポーツは身体競技だから、身体能力が実力に大きく影響するのは当たり前なのだけど、それでも同一競技で、身体能…

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ルールと審判 (スポーツと戦争について考える その6)

スポーツはヒトの闘争欲求を満足させるために生まれた、ルールのある代理戦争だという説を取り上げたけれど、実際の戦争に全くルールがないわけじゃない。 国際法では戦争は当事国の軍隊同士が行うことになっている。民間人は対象じゃない。だけど、イラク戦争をみても明らかなように民間人も殺されているから、既に有名無実化してるようにみえるけれど、スポーツ的な見方でみるとまた別の視点で見えてくるものがある。 仮…

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