言葉は幸・不幸を創造する(コミュニケーションとは何か その3)

言葉は幸・不幸を創造する。

言葉の価値やその意味合いは、一旦発言されてしまったら最後、発言者は最早コントロールできなくて、発された「言葉自身の意味」とその言葉を聴いた「本人の主観」の二つで、幸・不幸が決定される。

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「言葉自身の意味」と「本人の主観」には、幸・不幸を決める係数としての大小関係があって、どちらが大きいかというと、桁違いに「本人の主観」が大きい。「本人の主観」が殆どといっていいくらい大きな差がある。

どんなに強権を使ったとしてもガリレオの心まで天動説にはできなかった。本人の心を他人が左右することは出来ないから、当たり前の話。

だから「本人の主観」の係数が1の場合、つまり、言葉自身の意味をそのまま本人が受け取る場合において、ようやく「言葉自身の意味」をそのまま相手に伝えることができる。

本人の受け止め方には、大体一定のパターンがある。それは、こういう文脈やこういう言い方をされた時は、こういう意味なのだ、というコンテクストのデータベースがあって、それに基づいて判断されるから。

でなければ、そもそも皮肉というものは存在し得ない。


 ・・・おめでとう(^^)

 ・・・おめでとう(棒読み)


とでは意味が異なるものとして通用してる。少なくとも日本語圏では。

だから、たとえば、言葉を受け取る本人が天使のように素直で、本人の主観係数が限りなく1に近い場合を除いて、言葉による幸・不幸の生成要因は、

受け取った主体の判断>>言葉の意味

という図式が成立する。

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[Asagi's photo]より


どんなに言葉を尽くしたところで、受け取る主体の判断が勝ってしまう。ひねくれ者には何を言ったところで、ストレートに受け取ってはくれない。

よく映画や漫画なんかで、天使が人間界に現れて織り成すドタバタ劇なんてものがあるけれど、大抵は天使は心が美しくて清らかだから、悪意なんて全く知らないという設定になっている。

だから皮肉表現なんかが全然通じなかったり、悪意の言葉をぶつけられると驚愕して泣き崩れてしまう場面などが出てくる。これは天使のように心が清らかであるということは、主観係数がいつも1になっていて、言葉をそのまま受け取る、言葉を自分の主観で歪めないということを意味してる。

こういった天使の心のありかたに対して、誰も異議を唱えないところをみると、天使の心ってそうあるべきだ、という暗黙の了解が人間社会のコンテクストとして存在していて、それを皆が認めていることを証明してる。

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